2016年12月30日金曜日

from 2016 to 2017

今年はとにかく金がなかった。持病で通院しなければならず、毎月そこそこの出費があるのに加えて足を怪我したりと、どこかツキに見放された感じもあった。それでも新しい音楽をそれなりに追いかけることが出来たのは、ひとえにApple Musicのおかげだ。YouTubeにアクセスする回数も少なくなった。CDを買った枚数、特に新譜の数は、社会に出てから最低だと思う。テクノロジーの進歩をこれほど喜んだことはない。ただ、ストリーミングで事前に試聴できることで駄作を買わなくなり、良作しか並んでいないCD棚というのも、どこか寂しさを感じるのは確か。無駄がないというのは、やはり人間らしくない。

そうやってストリーミングをメインで聞いていたので、必然的に聞き漏れたのは、ほぼ海賊盤のような形で出回っているMIX-CD。iTunesのスマートプレイリストで調べてみたら、今年買ったのはECDのドネーションMIX2枚、BUSHMIND『Up, Up & Away』、MASS-HOLE『QUEENS & KINGS』の4枚だけ。一時期はこういうMIXを狂ったように買いまくっていたので、この枚数はちょっと悲しい。DJによるMIX音源を聞いて、新しい音楽ジャンルへ興味を持つことは経験的に少なくない。来年は何とかこの辺の音源を買っていきたいけれど、経済的にどこまでいけるだろう。

映画に関しては、音楽のように最新の作品をストリーミングで観ることはできない。なので、振り返ってみるとかなり悲惨な状況だった。劇場で観ることができた作品は、20本にも満たない。オスカーにノミネートされた作品を一通り観終ったのは、ここ最近のこと。それでもこのブログで幾つか紹介したような良い映画を観ることができたのは、ささやかな幸せだ。ただ一つ言わせてもらうなら、アカデミー賞の作品賞は『スポットライト』ではなく、『レヴェナント』もしくは『ブリッジ・オブ・スパイ』だったと思う。

もうすぐ2017年。やりたいことは山ほどあるけど、まずはもっと社会運動にコミットしたい。首相が真珠湾を訪問した翌日に閣僚が靖国神社に参拝するような国は、根本的に何かが間違っている。今年は金がないというのを言い訳にしてデモや抗議に参加するのをサボっていたけれど、自分のような人間こそ、何かあった時に真っ先に犠牲になることは分かりきっている。だからこそ、行動が必要だし、そうやって自分の生活を守るしかない。近い未来、過去を振り返って、あの頃自分は何もしなかったと後悔しないように。あとは生活に関する細々とした事柄。引っ越し、勤労、ダイエット、自炊、読書、部屋にある本・レコード・CD・DVDの整理、ブログの定期的な更新、等々。こだま和文さんに倣い、日々の暮らしも大切に。

2016年12月25日日曜日

自転車で下高井戸へ、ECDドネーションMIX-CD、クリスマスの夜

15時過ぎから、自転車で下高井戸のトラスムンドへ。事前にNAVITIMEで経路を確認して、メモ帳に画像付きで保存し、準備は万全だと思っていたけれど、途中で完全に道に迷う。全く見当外れの狭い路地を「大体この方向のはず…」と思いながら走っていたら京王線の高架橋が見えたので、それを辿ってようやく下高井戸に到着。コンビニでホットコーヒーを買って飲むものの、寒さは消えず。運動しようと思って自転車にしたけれど、これなら素直に電車にすればよかった。

わざわざトラスムンドへ来た理由は、現在がんで闘病中のECDへのドネーションを目的としたMIX-CDを買うため。店長である浜崎さんのブログにもある通り、MIXはラヴァーズ・ロックとディスコの2種類あり、「売上金は全額」ECDの元へと送られるという。ちょっと目を疑ったのは、ECDに渡されるのは「収益」ではなく「売上金」だというところ。今日この2枚をレジに持って行ったら会計の際にもレジは打たず、2千円をそのまま封筒に入れていたので、CD-Rの代金等の雑費は差し引かず、全額ECDに渡すのだろうか。だとしたら、あまりにも男前すぎる。ECDに人生を救われた日本語ラップファンのみならず、反原発デモなどでECDの雄姿を目撃した諸君、千円札を2枚握りしめてトラスムンドへ向かうべし。MIXの内容は、私が保証する。ちなみに2枚共買うと、もう1枚オールジャンルのMIXが付いてくるので、かなりお得。

とまあ、こんな取り留めの無いことを書いていたら、12月25日になってしまった。アメリカでは「メリークリスマス」ではなく、「ハッピーホリデー」と言うのが主流だとか。思い返してみると、子供の頃にちゃんとクリスマスを祝った記憶があまりない。だからなのか、クリスマスでわいわいやってる人を見ると、何か違う国の人を見るような、不思議な気分に陥る。おそらくそういう人は、子供の頃からクリスマスを祝う習慣がついているのだろう。クリスマスのイルミネーションで飾られた家に住む子供は、大人になったら同じように彼らの子供にもクリスマスの楽しみ方を教えるのだろう。そうやって、クリスマスに限らず何もかも一切が受け継がれていく。それはそれでよし。

クリスマスに独身で、東京に住み、パートナーもなく一人暮らしなら、どのような過ごし方をするのだろう。ここに、一つの極端な例がある。この方は自分とは全く面識はないものの、勝手に尊敬しているディガーの方。カセットテープを自らの専門というか、最早ここまでいくとテープを掘ることを自らの人生の使命のように感じているのだと思う。ただ、ユニオンで働いていた経験から言うと、店員を威嚇するのは勘弁していただきたい(日常の業務でいっぱいいっぱいだと思うので)…。もし、このエントリーを読んでいるほど暇でやることがないというなら、あまりにもベタではあるが、これを観てクリスマスをやり過ごすのも悪くないだろう。俳優・北野武の狂気が迸る、何度観ても素晴らしいクラシック。それでは、メリークリスマス。

2016年12月23日金曜日

Netflix『最後の追跡』、監督デヴィッド・マッケンジーの力量

ずっとNetflixのマイリストに入れたまま積んでた作品を、この休日を良い機会だと思って幾つか観てみたら、とんでもない傑作があって驚いた。主演がジェフ・ブリッジス、クリス・パインにベン・フォスター、スコアがニック・ケイヴ、監督がデヴィッド・マッケンジー。こんなに豪華なキャスト・製作陣の映画が、日本ではNetflix独占配信とは…。

本作は、基本的には犯罪者とそれを追う追跡者による現代版西部劇だが、それと同時に劇中で保安官のアルベルト(彼は先住民族であり、それこそがポイント)が言うように、この映画は「奪われた者がそれを奪い返す」物語でもある。まず先住民族から移民が奪い、更に移民の中でも貧しい者から富める者が奪い、今では1%がが99%から富を掠め取る、それが今のアメリカ。主人公達はその1%の象徴ともいえる「銀行」(いくら破綻しても政府から助けてもらえる言わば「聖域」)から金を盗み、その金で自分達の所有物だったものを奪い返す。このやり方はまるでビリー・ザ・キッドのような義賊のそれで、この映画の西部劇的な要素を否が応にも強調している。そして最後に、映画は西部劇らしく、当事者同士の一対一へと導かれていく。

それにしても監督のデヴィッド・マッケンジー、『名もなき塀の中の王』と本作しかまだ観ていないけれど、既に大物の趣がある。本作で映し出されるテキサスの荒野や銀行強盗、カーチェイスのシーンを観ていると、「男の映画を撮らせたら世界一」なマイケル・マンと同じような雰囲気を感じさせる。今、屈強な男の物語を撮らせてデヴィッド・マッケンジー以上か同等のクオリティの作品を作れる監督がどれだけいるだろうか。確かドゥニ・ヴィルニーヴが『ボーダーライン』公開時に同じくマイケル・マンと比較されていたが、この両者は同じくらい高いレベルに達しているように思う。




2016年12月13日火曜日

『ウォーキング・デッド』、様々なトピックの中にある普遍性

これまで避け続けてはいたものの、ついに『ウォーキング・デッド』に陥落してしまった。USのラップ情報目当てでフォローしているTwitterアカウントの中の方が余りにものめり込んでいるので、夜眠れない時に思わず見出したら案の定、こちらも泥沼に入り込んでしまった。キャスティングも、『デアデビル』のシーズン2でパニッシャー役を演じていたジョン・バーンサル、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』のヨンドゥ役マイケル・ルーカー、『ジ・アメリカンズ』のノア・エメリッヒなど、色んなドラマや映画で見る面子が揃っていて、今から見るとなかなか面白い。ただキャスティングを調べるのにwikiを見ると、最新のシリーズでそのキャラクターが「生存」しているかどうか分かってしまうので、かなり注意が必要。いやー、しかしこれ、今もって現在進行中で、しかもシーズン7まであるのか…。

しかし、アメリカのドラマのトピックの多さには脱帽する。『ウォーキング・デッド』はゾンビ(公式にはゾンビではなく「ウォーカー」)、『ジ・アメリカンズ』は冷戦中のソ連のスパイ夫婦、『ブレイキング・バッド』『ナルコス』はドラッグ及び麻薬戦争、『ストレンジャー・シングス』はSF、『サン・オブ・アナーキー』はバイカー・ギャング、『ゴッサム』『デアデビル』に代表されるアメコミ原作モノ、等々。ただ多くのヒットするドラマに共通するのは、結局のところ突き詰めると「ホームドラマ」というか、家族のドラマに落ち着くというところ。『ゴッサム』のようなかなり変化球なドラマでも、飛び道具的な演出だけに留まらず、若き日のジェームズ・ゴードンとブルース・ウェインを中心とした人間ドラマをしっかり描いている。どれだけとんでもない設定でも、多くの視聴者に訴えかける普遍的なテーマが中心にないと成功しないのを、アメリカのドラマ製作者は分かっているということなのだろう。


2016年12月12日月曜日

90年代のヒップホップ黄金期を支えた伝説的なラジオ番組、『ストレッチ&ボビート 人生を変えるラジオ』

ATCQやナズのドキュメンタリー、『ゲット・ダウン』『フレッシュに着こなせ』など、なぜかヒップホップ関係の作品が充実しているNetflixに、また一つ重要作品が追加。今作は、90年代にNYを中心に爆発的な人気を誇ったラジオ番組のパーソナリティであるボビート・ガルシアとDJのストレッチ・アームストロングの二人が、当時のシーンの関係者へのインタビューを挟みつつ番組の歴史を振り返るドキュメンタリー。これ、とにかく出演者が豪華。インタビューに応じたアーティストだけでも、DJプレミア、ナズ、ジェイ・Z、バスタ・ライムス、コモン、エミネム、レイクウォン、レッドマン、ファロア・モンチ、ロード・フィネス、ファット・ジョー、etc。もう数え上げたらキリがない!他にも、当時のラジオ放送時のビデオ映像の出演者が多数(冒頭いきなりO.C.からDas EFX!)。個人的に一番アガったのは、ビッグ・Lとジェイ・Zが出演し、ラップを披露した回の音声が流されたシーン。プレミアやジェイ・Zといったビッグ・Lと関係のあったアーティスト(皆ヒップホップのキングと言っていい)がヘッドフォンに静かに耳を傾けていたのが、ビッグ・Lというラッパーの凄さを改めて感じさせる。ロード・フィネスなどD.I.T.C.のメンバーは、涙ぐんでいたようにも見える。このビッグ・Lのラップを聞くだけでも、今作を観る価値がある。

ただ、本当に本当にとてもとてもとても残念なのは、字幕を担当した人がおそらくヒップホップの知識が「全く」ないと思われるところ。固有名詞だけでも、ウータンを「ウータング」、フージーズを「フジーズ」、ビッグ・パンを「プン」、ファロア・モンチを「ファラオ・モンク」、ラージ・プロフェッサーを「教授」(いや、まあヘッズ的にはこれで十分意味は通るのだけどさ…)、「レペゼン」を「象徴する」など、凄まじい誤訳が多数。いや、こんなの序の口で、ヒップホップの知識があって英語の出来る人が真剣に観たら、ホントに数えきれない程あると思う。他にも単純に日本語になっていない訳がかなりあって、頭の中で英語音声を聞きながら足りない部分を付け足して観ていた。そんなでも十分楽しめた内容だっただけに、これはちゃんとヒップホップの知識がある方(できれば小林雅明さん、高橋芳朗さん、もしくはKダブか宇多丸あたり…)にしっかり監修してもらって、完璧なバージョンのものを観たいし、これはそうする価値のある映画だと思う。一つの時代の資料といってもいい。ちなみにオフィシャル・サイトでは、当時の番組を録音したテープを売ってたりする。めちゃくちゃ欲しい。もう売り切れてるけど!




2016年12月8日木曜日

ネット上に乱立する、個人による「年間ベスト」への違和感

Twitterを始めて6年以上経つけれど、その当時からこういう風に年間ベストを個人で発表している人がいる。「一億総評論家時代」の分かりやすい例だ。こういうのを見ると無性にモヤモヤする状態がずっと続いていたけれど、音楽雑誌がまだ辛うじて存在していた頃なら、そうした権威へのカウンターとして個人の年間ベスト・アルバムなりトラックなりを提示するという行為にそれなりの意味は見い出せた。ただ、権威それ自体がそもそも崩れ去ってしまった現状で、無名の「年間ベスト」の集合体に、どのような意味があるだろう。

そもそもライターや評論家といった人達は年間何百もの音源を聞いている中で10~20枚といった数の作品を選ぶからそこに説得力が生まれるのであって、素人が50枚程度聞いた中から20枚選んだとしても、それは本当に価値あるものだろうか。そもそも何十枚という少ない母数の作品の中で、これから何年も聞かれる作品がどれほど存在するというのか。

それにこうしたベスト・アルバムやトラックといったものは、その年が音楽史的にどういう年だったかという問いへの答えを発表する場であるはずで、ただ単に好きな作品を上から順に並べれば良いというものではない。例えば、ボストンにReksというラッパーがいる。Reksは今年『The Greatest X』というアルバムを発表した。通算10作目という節目のアルバムに相応しく、CD2枚組、全35曲、合計時間2時間超えの大作だ。私はこのアルバムが大好きだけれども、もし「2016年の年間ベストアルバム」を作るとしたらこのアルバムはそこには入らないか、入っても順位は下の方にならざるを得ないだろう。なぜなら、このアルバムを評価するのに「2016年」という因数は入らないから。「2016年」のラップのアルバムを入れるなら、個人的にそれほど好きではないけれどRae Sremmurd辺りの方が余程妥当だと思う。ネット上で作られ発表される無数の「年間ベスト」に、このような視点が入っているものがどれ程あるのだろうか。

自分ではこうした「年間ベスト」を作る気はない(もう随分前から、こうしたものを作る意義を見出せない)けれど、どうしても作るという人がいるのなら、ただの作品名の羅列ではなく、きっちりとしたコンセプトがあるものが見たい。その方がおそらく作る人にとっても有意義なものになるはずだ。