2015年10月21日水曜日

ラッパーの「言葉」、その重みを噛み締める - tha BOSS『IN THE NAME OF HIPHOP』

たったワンラインで、リスペクトを失う。これがヒップホップ。NORIKIYOは、私にとって日本でベストなラッパーの一人だった。スキルフルで、音楽的にも進化を続け、それでも客演でかます時はかます。そんな信頼も、「仕事しよう」を聞いた瞬間に崩れ落ちた。「昔のツレは生活保護 昼間から飲んでるもろ」から始まる、正確な現実認識を欠いた生活保護受給者への非難。これ以来NORIKIYOのCDは買ってないし、そもそも音源すら聞いてない。ラッパーは言葉が武器。だからこそ、慎重に言葉を選ばなければならない。

BOSSは、良くも悪くも天然なアーティストだと思う。前回の参院選にて、悪質な陰謀論者をフォローしている三宅洋平を応援したのは記憶に新しい。インタビューでいわゆる「どっちもどっち論」をぶち上げて批判されたこともある。2012年にリリースされたTBHの4thアルバム「TOTAL」は、それでも何とかこれまで勝ち得た信頼を失わないだけの充実した内容だった。インディーズ・イシューのインタビューで語っていたように、言葉の限界を知った上で紡がれた言葉の数々。まだまだBOSSは健在だ、と思ったものだ。

『IN THE NAME OF HIPHOP』、BOSSの長いキャリアでも初のソロアルバム。ポエトリー・リーディングのようで実は絶妙なリズム感でビートに乗っていくラップ、巧妙に仕組まれた複雑なライム。BOSSのラッパーとしての一つの到達点といっても良いだろう。トラックのチョイスも申し分ない。「Candle Chant」以来のDJ KRUSHとの邂逅「LIVING IN THE FUTURE」~KAZZ-Kのタイトなトラックが光る「ABOVE THE WALL」に至る流れは、本作のハイライトだ。

しかし震災以降、少なからず社会運動に携わってきた人間としては、どうにも合点のいかないポイントがある。「MATCHSTICK SPIT」の「国の愛し方すら解り合えない」、冒頭のサンプリング、「SEE EVIL, HEAR EVIL, SPEAK NO EVIL」の「ただ右や左じゃねえ どっちにも属さねえ カッカするなよ 見てられねえ」。ネット上にはヘイトスピーチが溢れ、現実社会を侵食する時代。明らかに資格を欠く人間が国のトップに立ち、庶民に重税が課せられ、解釈改憲によって自衛隊が海外に派兵されようというこの時代。BOSSのような社会的意識の高いラッパーの立ち位置が、このような曖昧なもので良いのか。中立を装うことが、何に加担するのか理解しているのか。

ワンラインで評価を上げも下げもするのがラッパーの宿命。セルフポーストに独自のヒップホップ・フィロソフィー、B.I.G. JOEやYOU THE ROCK★(「A SWEET LITTLE DIS」!)を招いて披露した自身のラッパーとしての歴史、正に「BOSSIZM」満載の名盤が、たった数行のリリックで全体の評価を下げてしまうのは、一ファンとして残念で仕方ない。しかし何度も言うように、それがラッパーであり、BOSSが望む評価のされ方だとも思うのだ。


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