2016年12月30日金曜日

from 2016 to 2017

今年はとにかく金がなかった。持病で通院しなければならず、毎月そこそこの出費があるのに加えて足を怪我したりと、どこかツキに見放された感じもあった。それでも新しい音楽をそれなりに追いかけることが出来たのは、ひとえにApple Musicのおかげだ。YouTubeにアクセスする回数も少なくなった。CDを買った枚数、特に新譜の数は、社会に出てから最低だと思う。テクノロジーの進歩をこれほど喜んだことはない。ただ、ストリーミングで事前に試聴できることで駄作を買わなくなり、良作しか並んでいないCD棚というのも、どこか寂しさを感じるのは確か。無駄がないというのは、やはり人間らしくない。

そうやってストリーミングをメインで聞いていたので、必然的に聞き漏れたのは、ほぼ海賊盤のような形で出回っているMIX-CD。iTunesのスマートプレイリストで調べてみたら、今年買ったのはECDのドネーションMIX2枚、BUSHMIND『Up, Up & Away』、MASS-HOLE『QUEENS & KINGS』の4枚だけ。一時期はこういうMIXを狂ったように買いまくっていたので、この枚数はちょっと悲しい。DJによるMIX音源を聞いて、新しい音楽ジャンルへ興味を持つことは経験的に少なくない。来年は何とかこの辺の音源を買っていきたいけれど、経済的にどこまでいけるだろう。

映画に関しては、音楽のように最新の作品をストリーミングで観ることはできない。なので、振り返ってみるとかなり悲惨な状況だった。劇場で観ることができた作品は、20本にも満たない。オスカーにノミネートされた作品を一通り観終ったのは、ここ最近のこと。それでもこのブログで幾つか紹介したような良い映画を観ることができたのは、ささやかな幸せだ。ただ一つ言わせてもらうなら、アカデミー賞の作品賞は『スポットライト』ではなく、『レヴェナント』もしくは『ブリッジ・オブ・スパイ』だったと思う。

もうすぐ2017年。やりたいことは山ほどあるけど、まずはもっと社会運動にコミットしたい。首相が真珠湾を訪問した翌日に閣僚が靖国神社に参拝するような国は、根本的に何かが間違っている。今年は金がないというのを言い訳にしてデモや抗議に参加するのをサボっていたけれど、自分のような人間こそ、何かあった時に真っ先に犠牲になることは分かりきっている。だからこそ、行動が必要だし、そうやって自分の生活を守るしかない。近い未来、過去を振り返って、あの頃自分は何もしなかったと後悔しないように。あとは生活に関する細々とした事柄。引っ越し、勤労、ダイエット、自炊、読書、部屋にある本・レコード・CD・DVDの整理、ブログの定期的な更新、等々。こだま和文さんに倣い、日々の暮らしも大切に。

2016年12月25日日曜日

自転車で下高井戸へ、ECDドネーションMIX-CD、クリスマスの夜

15時過ぎから、自転車で下高井戸のトラスムンドへ。事前にNAVITIMEで経路を確認して、メモ帳に画像付きで保存し、準備は万全だと思っていたけれど、途中で完全に道に迷う。全く見当外れの狭い路地を「大体この方向のはず…」と思いながら走っていたら京王線の高架橋が見えたので、それを辿ってようやく下高井戸に到着。コンビニでホットコーヒーを買って飲むものの、寒さは消えず。運動しようと思って自転車にしたけれど、これなら素直に電車にすればよかった。

わざわざトラスムンドへ来た理由は、現在がんで闘病中のECDへのドネーションを目的としたMIX-CDを買うため。店長である浜崎さんのブログにもある通り、MIXはラヴァーズ・ロックとディスコの2種類あり、「売上金は全額」ECDの元へと送られるという。ちょっと目を疑ったのは、ECDに渡されるのは「収益」ではなく「売上金」だというところ。今日この2枚をレジに持って行ったら会計の際にもレジは打たず、2千円をそのまま封筒に入れていたので、CD-Rの代金等の雑費は差し引かず、全額ECDに渡すのだろうか。だとしたら、あまりにも男前すぎる。ECDに人生を救われた日本語ラップファンのみならず、反原発デモなどでECDの雄姿を目撃した諸君、千円札を2枚握りしめてトラスムンドへ向かうべし。MIXの内容は、私が保証する。ちなみに2枚共買うと、もう1枚オールジャンルのMIXが付いてくるので、かなりお得。

とまあ、こんな取り留めの無いことを書いていたら、12月25日になってしまった。アメリカでは「メリークリスマス」ではなく、「ハッピーホリデー」と言うのが主流だとか。思い返してみると、子供の頃にちゃんとクリスマスを祝った記憶があまりない。だからなのか、クリスマスでわいわいやってる人を見ると、何か違う国の人を見るような、不思議な気分に陥る。おそらくそういう人は、子供の頃からクリスマスを祝う習慣がついているのだろう。クリスマスのイルミネーションで飾られた家に住む子供は、大人になったら同じように彼らの子供にもクリスマスの楽しみ方を教えるのだろう。そうやって、クリスマスに限らず何もかも一切が受け継がれていく。それはそれでよし。

クリスマスに独身で、東京に住み、パートナーもなく一人暮らしなら、どのような過ごし方をするのだろう。ここに、一つの極端な例がある。この方は自分とは全く面識はないものの、勝手に尊敬しているディガーの方。カセットテープを自らの専門というか、最早ここまでいくとテープを掘ることを自らの人生の使命のように感じているのだと思う。ただ、ユニオンで働いていた経験から言うと、店員を威嚇するのは勘弁していただきたい(日常の業務でいっぱいいっぱいだと思うので)…。もし、このエントリーを読んでいるほど暇でやることがないというなら、あまりにもベタではあるが、これを観てクリスマスをやり過ごすのも悪くないだろう。俳優・北野武の狂気が迸る、何度観ても素晴らしいクラシック。それでは、メリークリスマス。

2016年12月23日金曜日

Netflix『最後の追跡』、監督デヴィッド・マッケンジーの力量

ずっとNetflixのマイリストに入れたまま積んでた作品を、この休日を良い機会だと思って幾つか観てみたら、とんでもない傑作があって驚いた。主演がジェフ・ブリッジス、クリス・パインにベン・フォスター、スコアがニック・ケイヴ、監督がデヴィッド・マッケンジー。こんなに豪華なキャスト・製作陣の映画が、日本ではNetflix独占配信とは…。

本作は、基本的には犯罪者とそれを追う追跡者による現代版西部劇だが、それと同時に劇中で保安官のアルベルト(彼は先住民族であり、それこそがポイント)が言うように、この映画は「奪われた者がそれを奪い返す」物語でもある。まず先住民族から移民が奪い、更に移民の中でも貧しい者から富める者が奪い、今では1%がが99%から富を掠め取る、それが今のアメリカ。主人公達はその1%の象徴ともいえる「銀行」(いくら破綻しても政府から助けてもらえる言わば「聖域」)から金を盗み、その金で自分達の所有物だったものを奪い返す。このやり方はまるでビリー・ザ・キッドのような義賊のそれで、この映画の西部劇的な要素を否が応にも強調している。そして最後に、映画は西部劇らしく、当事者同士の一対一へと導かれていく。

それにしても監督のデヴィッド・マッケンジー、『名もなき塀の中の王』と本作しかまだ観ていないけれど、既に大物の趣がある。本作で映し出されるテキサスの荒野や銀行強盗、カーチェイスのシーンを観ていると、「男の映画を撮らせたら世界一」なマイケル・マンと同じような雰囲気を感じさせる。今、屈強な男の物語を撮らせてデヴィッド・マッケンジー以上か同等のクオリティの作品を作れる監督がどれだけいるだろうか。確かドゥニ・ヴィルニーヴが『ボーダーライン』公開時に同じくマイケル・マンと比較されていたが、この両者は同じくらい高いレベルに達しているように思う。




2016年12月13日火曜日

『ウォーキング・デッド』、様々なトピックの中にある普遍性

これまで避け続けてはいたものの、ついに『ウォーキング・デッド』に陥落してしまった。USのラップ情報目当てでフォローしているTwitterアカウントの中の方が余りにものめり込んでいるので、夜眠れない時に思わず見出したら案の定、こちらも泥沼に入り込んでしまった。キャスティングも、『デアデビル』のシーズン2でパニッシャー役を演じていたジョン・バーンサル、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』のヨンドゥ役マイケル・ルーカー、『ジ・アメリカンズ』のノア・エメリッヒなど、色んなドラマや映画で見る面子が揃っていて、今から見るとなかなか面白い。ただキャスティングを調べるのにwikiを見ると、最新のシリーズでそのキャラクターが「生存」しているかどうか分かってしまうので、かなり注意が必要。いやー、しかしこれ、今もって現在進行中で、しかもシーズン7まであるのか…。

しかし、アメリカのドラマのトピックの多さには脱帽する。『ウォーキング・デッド』はゾンビ(公式にはゾンビではなく「ウォーカー」)、『ジ・アメリカンズ』は冷戦中のソ連のスパイ夫婦、『ブレイキング・バッド』『ナルコス』はドラッグ及び麻薬戦争、『ストレンジャー・シングス』はSF、『サン・オブ・アナーキー』はバイカー・ギャング、『ゴッサム』『デアデビル』に代表されるアメコミ原作モノ、等々。ただ多くのヒットするドラマに共通するのは、結局のところ突き詰めると「ホームドラマ」というか、家族のドラマに落ち着くというところ。『ゴッサム』のようなかなり変化球なドラマでも、飛び道具的な演出だけに留まらず、若き日のジェームズ・ゴードンとブルース・ウェインを中心とした人間ドラマをしっかり描いている。どれだけとんでもない設定でも、多くの視聴者に訴えかける普遍的なテーマが中心にないと成功しないのを、アメリカのドラマ製作者は分かっているということなのだろう。


2016年12月12日月曜日

90年代のヒップホップ黄金期を支えた伝説的なラジオ番組、『ストレッチ&ボビート 人生を変えるラジオ』

ATCQやナズのドキュメンタリー、『ゲット・ダウン』『フレッシュに着こなせ』など、なぜかヒップホップ関係の作品が充実しているNetflixに、また一つ重要作品が追加。今作は、90年代にNYを中心に爆発的な人気を誇ったラジオ番組のパーソナリティであるボビート・ガルシアとDJのストレッチ・アームストロングの二人が、当時のシーンの関係者へのインタビューを挟みつつ番組の歴史を振り返るドキュメンタリー。これ、とにかく出演者が豪華。インタビューに応じたアーティストだけでも、DJプレミア、ナズ、ジェイ・Z、バスタ・ライムス、コモン、エミネム、レイクウォン、レッドマン、ファロア・モンチ、ロード・フィネス、ファット・ジョー、etc。もう数え上げたらキリがない!他にも、当時のラジオ放送時のビデオ映像の出演者が多数(冒頭いきなりO.C.からDas EFX!)。個人的に一番アガったのは、ビッグ・Lとジェイ・Zが出演し、ラップを披露した回の音声が流されたシーン。プレミアやジェイ・Zといったビッグ・Lと関係のあったアーティスト(皆ヒップホップのキングと言っていい)がヘッドフォンに静かに耳を傾けていたのが、ビッグ・Lというラッパーの凄さを改めて感じさせる。ロード・フィネスなどD.I.T.C.のメンバーは、涙ぐんでいたようにも見える。このビッグ・Lのラップを聞くだけでも、今作を観る価値がある。

ただ、本当に本当にとてもとてもとても残念なのは、字幕を担当した人がおそらくヒップホップの知識が「全く」ないと思われるところ。固有名詞だけでも、ウータンを「ウータング」、フージーズを「フジーズ」、ビッグ・パンを「プン」、ファロア・モンチを「ファラオ・モンク」、ラージ・プロフェッサーを「教授」(いや、まあヘッズ的にはこれで十分意味は通るのだけどさ…)、「レペゼン」を「象徴する」など、凄まじい誤訳が多数。いや、こんなの序の口で、ヒップホップの知識があって英語の出来る人が真剣に観たら、ホントに数えきれない程あると思う。他にも単純に日本語になっていない訳がかなりあって、頭の中で英語音声を聞きながら足りない部分を付け足して観ていた。そんなでも十分楽しめた内容だっただけに、これはちゃんとヒップホップの知識がある方(できれば小林雅明さん、高橋芳朗さん、もしくはKダブか宇多丸あたり…)にしっかり監修してもらって、完璧なバージョンのものを観たいし、これはそうする価値のある映画だと思う。一つの時代の資料といってもいい。ちなみにオフィシャル・サイトでは、当時の番組を録音したテープを売ってたりする。めちゃくちゃ欲しい。もう売り切れてるけど!




2016年12月8日木曜日

ネット上に乱立する、個人による「年間ベスト」への違和感

Twitterを始めて6年以上経つけれど、その当時からこういう風に年間ベストを個人で発表している人がいる。「一億総評論家時代」の分かりやすい例だ。こういうのを見ると無性にモヤモヤする状態がずっと続いていたけれど、音楽雑誌がまだ辛うじて存在していた頃なら、そうした権威へのカウンターとして個人の年間ベスト・アルバムなりトラックなりを提示するという行為にそれなりの意味は見い出せた。ただ、権威それ自体がそもそも崩れ去ってしまった現状で、無名の「年間ベスト」の集合体に、どのような意味があるだろう。

そもそもライターや評論家といった人達は年間何百もの音源を聞いている中で10~20枚といった数の作品を選ぶからそこに説得力が生まれるのであって、素人が50枚程度聞いた中から20枚選んだとしても、それは本当に価値あるものだろうか。そもそも何十枚という少ない母数の作品の中で、これから何年も聞かれる作品がどれほど存在するというのか。

それにこうしたベスト・アルバムやトラックといったものは、その年が音楽史的にどういう年だったかという問いへの答えを発表する場であるはずで、ただ単に好きな作品を上から順に並べれば良いというものではない。例えば、ボストンにReksというラッパーがいる。Reksは今年『The Greatest X』というアルバムを発表した。通算10作目という節目のアルバムに相応しく、CD2枚組、全35曲、合計時間2時間超えの大作だ。私はこのアルバムが大好きだけれども、もし「2016年の年間ベストアルバム」を作るとしたらこのアルバムはそこには入らないか、入っても順位は下の方にならざるを得ないだろう。なぜなら、このアルバムを評価するのに「2016年」という因数は入らないから。「2016年」のラップのアルバムを入れるなら、個人的にそれほど好きではないけれどRae Sremmurd辺りの方が余程妥当だと思う。ネット上で作られ発表される無数の「年間ベスト」に、このような視点が入っているものがどれ程あるのだろうか。

自分ではこうした「年間ベスト」を作る気はない(もう随分前から、こうしたものを作る意義を見出せない)けれど、どうしても作るという人がいるのなら、ただの作品名の羅列ではなく、きっちりとしたコンセプトがあるものが見たい。その方がおそらく作る人にとっても有意義なものになるはずだ。

2016年11月21日月曜日

ジェイムズ・エルロイ『獣どもの街』、日本のラップにおけるライミング

ジェイムズ・エルロイによる中編小説3作を1つにまとめた『獣どもの街』を読んだ。これが素晴らしい作品で、久々に小説というフォーマットの面白さを体感できた。エルロイというと今年、太平洋戦争開戦直後を描いた長編小説、『背信の都』を発表している。が、こちらは「暗黒のLA4部作」や「アンダーワールドUSA3部作」と比較すると、なんとも中途半端な出来というか、はっきり言って物足りなかった。ちなみに『獣どもの街』に収録されている3つの作品は、アメリカでは2004年に、日本では2006年に発表されたものだ。この3つの作品はいずれもリック・ジェンソンという刑事とドナ・ドナヒューという女優との間に起こる事件を描いたものだが、正直なところ物語のプロットはそれほど重要ではない(いや、プロットも面白いことは間違いないのだけれど)。これらの作品の魅力は、台詞以外の殆ど全ての文で頭韻を踏んでいるという、特異な文体である。例を挙げてみよう。「押し込み強姦魔」(これまた凄いタイトルだ)という作品の冒頭は、以下のような文で始まる。

あの世は味わい深い。時は飛び、とばっちりを食わせる。肉体は握りつぶされ、日常は苦々しいものとして認識される。ひとは引き止められ、過去を顧みさせられる。

1文目は「あ」、2文目は「と」、3文目は「に」、最後は「ひ」と「か」で頭韻を踏んでいる。このような文が、3つの作品全編を通して貫き通される。こんな小説、というか文章はこれまで読んだことがない。原文は当たり前だが英語なので、これを日本語で同じく頭韻を踏んだ形で再現するのは至難の業だっただろう。訳者の田村義進氏の苦労は察するに余りある。

頭韻を踏むということで生まれた長所は、常識外れの文体の小説を生み出すということだけに留まらない。とにかく、読みやすいのだ。内容が頭に入らないくらいの猛烈なスピードで読み進んでしまう。韻文に限らず、文学や詩の歴史の中で生き残ってきた様々な方法論や形式には、やはりそれなりの理由があるということだ。

これを踏まえて最近発表された日本のラップを聞いてみると、この韻律(要はライミングだ)の部分が非常に貧弱。トリッキーなフロウやトピックのラップは多く存在するが、韻律が弱いためどこか締まらない印象を受ける。逆に韻律が固いのは、95~96年、「さんぴんキャンプ」が開催された頃の作品だ。YOU THE ROCK AND DJ BEN『TIGHT BUT FAT』なんかは、買った当時よりも今のほうが遥かにフレッシュに聞こえる。一部のラップ愛好家が狂信的ともいえる姿勢でライミングを重視する理由も、エルロイのこの作品を読んでみて、初めて理解できた気がする。


2016年11月15日火曜日

「ディグ」の精神、Qティップのレコード・コレクション



先日新作にしてラスト・アルバム(傑作!)を発表したATCQの、Qティップのレコード・コレクション。この動画の中ではビートルズのアルバムくらいしか映っていなかったが、出来ればジャズやファンクの棚のラインナップを見てみたかった…。やはり、こういう企画はインタビュアーが重要。小洒落た照明やインテリアも目を引くけれど、個人的には一枚一枚レコードをビニールの袋に入れて保護しているところに感心した。コレクターはこうでないと。

動画の中で、Qティップはコレクションの枚数を約9000枚と言っている。DJシャドウやカット・ケミスト辺りだと、これが万単位になると思う。ただ、Qティップの場合は一度家が火事で焼けてしまって、それまでのコレクション(噂によると1万枚…)を無くしてしまっているから仕方ない。むしろ、そこから9000枚も集めたという事実に驚愕する。MUROがインタビューで語っていたけれど、Qティップは1枚1ドルのエサ箱もきっちりディグしているという。この貪欲な姿勢と好奇心が、素晴らしい音楽を生むのだと思う。リスペクト。

2016年11月12日土曜日

「Love Trumps Hate」?


「Love Trumps Hate」というワードが世界中を駆け巡っている。ドナルド・トランプのアメリカ大統領選の勝利を受けて、レディー・ガガがトランプ・タワーの前で掲げたプラカードに書かれていたメッセージだ。「Trump」は動詞で「勝つ」を意味し、当然だがトランプ自身の名前とかかっている。レディー・ガガらしいし、キャッチーなコピーだとは思うが、果たして愛で憎しみに勝てるだろうか。あの「サマー・オブ・ラブ」でさえ、ニクソンやJ・E・フーバーに代表される「アメリカの闇」を前にして、成す術なく飲み込まれたではないか(PTA『インヒアレント・ヴァイス』が記憶に新しい)。



ルーツ・レゲエを代表するシンガー、ピーター・トッシュは名曲「Equal Rights」の中で、「オレは平和なんか要らない 平等な権利と正義が欲しい」と歌っている。今この世界に必要なのは、愛のような曖昧な感情・概念ではなく、こうした正義を求める強固な意志ではないだろうか。レイシズム、セクシズム、ファシズム、ゼノフォビア、ホモフォビア、等々。自由な世界を脅かす、あらゆる思想や感情に対して、毅然とした姿勢でNOを。不寛容には不寛容を。憎しみを憎み、否定せよ。正義を求める行動や態度こそが、憎しみを打ち負かす。Justice Trumps Hate。おっと言い忘れた、Fuck Donald Trump。

2016年11月11日金曜日

TRASMUNDO NIGHT VOL.4

昨日ふと思い立って、先週発売のISSUGI & GRADIS NICE『DAY and NITE』のリリースパーティー、「TRASMUNDO NIGHT VOL.4」のために代官山へ。金欠のためライブハウスやクラブとは全く無縁の生活を送ってきたので、こうしたイベントに来るのは約1年振り。エントランスは、1500円+ドリンク代600円と格安。このパーティーの主催は、下高井戸にある、知る人ぞ知るレコード屋「トラスムンド」。日本語ラップやハードコアを聞いている人ならおそらく一度は耳にしたことのある名前だろう。尖った音楽を求めているなら、一度は訪れてみることをお勧めする。

基本的に普段都内の移動は自転車なのだが、酒が入るのでさすがに断念。久しぶりに電車に乗る。帰宅ラッシュの時間だったものの、それ程混んでいない。最初は久々の電車移動が新鮮だったものの、すぐに飽きる。電車はただ座っているだけなので(当たり前だが)、何かしてないと時間が持たない。Apple Musicで最近リリースの新譜をチェック。海外だとLa Coka NostraとCzarface、国内だと井の頭レンジャーズがなかなか良かった。電車で通勤していたサラリーマン時代にApple Musicがあったら、毎日暇つぶしに新譜をチェックしていただろうと妄想してみる。

会場のライブハウス「晴れたら空に豆まいて」は代官山駅から歩いて1分程の場所にあるのだけれど、代官山だけあって近隣のカフェやレストランは流石に洒落てる。コンビニでパンとビールを買って夕食をすましてた自分は、完全に浮いていた。

18時半過ぎに会場に入る。イベントはDJが21時半くらいまで代わる代わるプレイ、ISSUGIが30分程ライブ、その後またDJという構成。印象的だったのは、アナログでプレイしていたDJは12インチやLPではなく7インチシングルをメインにプレイしていたこと。10年前は7インチオンリーでプレイするなんて日本ではMUROくらいだった(しかもかなり異端扱いだった)のに、随分と時代は変わったものだ。ユニオンでも7インチのコーナーが明らかに増えているし、アナログDJ一般にこういう傾向があるのだろうか。ISSUGIのライブは、いつも通り素晴らしかった。ゲストにBESと仙人掌、バックDJのMr. Pugと合わせてMONJUの揃い踏み、満足度は100%。ISSUGIの後の、DJ HOLIDAYことSFPの今里さんのDJも最高だった。電車の都合で途中で抜けてしまったが、それまでかけた曲全てルーツ・レゲエ。正しきルード・ボーイ・スタイル。後ろ髪ひかれながらの帰宅だった。今里さんのDJは、また機会があれば見てみたい。

年齢的にも体力的にもオールナイトのイベントは結構厳しくなってきたが、こういう時間のイベントなら、全く問題なく楽しめる。これが毎週末となると懐事情がキツイものの、気になるパーティーにはちゃんと顔を出しておかないといけないと改めて感じた1日だった。トラスムンドの店長で、オーガナイザーでもある浜崎さんとコロナ・ビールに感謝。


2016年11月6日日曜日

UPLINK Cloud、VOD、『バンクシー・ダズ・ニューヨーク』、who's Banksy ?

UPLINK Cloud」というサイトをご存じだろうか。渋谷のミニシアター、アップリンク渋谷が新たに立ち上げた、ビデオ・オン・デマンド(VOD)方式のサービスである。今のところ料金は1作品300円~700円で、購入から72時間は視聴が可能。決済方法はクレジットカードかペイパルで、動画の再生に関してはVimeoを利用している。このニュースを聞いた時、私は「日本もようやく世界に追いつきつつある」となかなか感慨深いものがあった。実はアメリカなどでは、ミニシアター系の映画は封切りと同時にVODで配信されている。そして、それなりの利益を上げているという。通りで、良質なインディ系の映画がどんどん出てくるわけだ。このやり方だと、制作・劇場側は、スクリーンで公開しても利益を上げづらいような映画もある程度のリターンが期待できる。客側からすれば、それまでは観ることのできなかったような作品を、劇場の半分以下の値段で観ることができる。それに、何よりも東京などの大都市でしか鑑賞できなかった作品を、全国どこでも自由な時間に楽しむことができる。これはこのサービスの大きな利点だ。今の所アップリンク渋谷のみがこの新しい試みに挑戦しているが、他のミニシアターも是非これに続いてほしい。これは、日本の映画界にとって大きな契機になるだろう。

早速、私も「UPLINK Cloud」を試してみることにした。ラインナップを見て、迷わず『バンクシー・ダズ・ニューヨーク』を観ることに決めた。神出鬼没のストリート・アーティスト、バンクシーが2013年10月にニューヨークで行った「1日に1個作品を発表する」という活動を収めたドキュメンタリーだ。といっても、バンクシー自体が登場するわけではなく、そこは『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』とは異なる。映画の冒頭でも、「この映画はバンクシーが製作したものではない」との説明がある。しかし、果たして本当にそうなのだろうか。『イグジット~』のような映画を観てしまった後で、その言葉がどのくらい信用できるものなのかは神のみぞ知るといったところだ。今作にはバンクシーの作品に群がる、多くの人間が登場する。追っかけ、胡散臭い画廊のオーナー、作品を盗む人・守る人、バンクシーに反発・便乗する地元のグラフィティ・アーティスト、現代アートの評論家・ライター、そして警察、等々。こうした人達が巻き起こす騒動も含めて「バンクシーの作品」なわけだが、この中の誰が「演出」で、誰がそうでないのか。バンクシーのやり方が余りにも巧妙で、出てくる何もかもを勘ぐってしまう。まあ、この文章を書いている私自身さえも、おそらく彼の掌の上で踊らされているのだろう。まるでキツネにつつまれたような80分だった。





















ところで、バンクシーの自身については「正体不明」ということになっているが、下記のツイートのような噂が広まっている。この映画の中でも、冒頭で確かに「ブリストル出身」とニュース番組のキャスターが言っているのが確認できる。3Dは元々グラフィティ・アーティストだし、これが事実だとしたら納得できる話だ。



2016年11月4日金曜日

『ヒメアノ~ル』 『クリーピー 偽りの隣人』

TSUTAYAで新作・準新作DVD100円キャンペーンというのをやっていて、せっかくの機会なので滅多に借りない邦画の新作を2本借りてみた。このキャンペーンはおそらく初めてだと思う(記憶違いだったら申し訳ない)のだが、色んな映画を観るチャンスが増えるので、今後も3か月に1回くらいはやってくれないだろうか。店側からしたら、たまらんかもしれないが。

1本目は、V6の森田剛が主演の『ヒメアノ~ル』。公開当時は全く気にしていなかったものの、最近職場の先輩からオススメされたので借りてみた。これが、良い意味で予想を裏切る良作。森田剛が冷血なサイコパスを演じているのだが、役に完全にハマっている。森田剛演じる森田正一(名前がややこしい)による凄惨なバイオレンス・シーンが全編にわたって繰り広げられるのだが、まるで一時期の韓国映画のよう。いや、犯行自体の冷徹さはそれ以上かもしれない。ラスト近くのシーンは、おそらくヒッチコック『サイコ』へのオマージュだと思うのだが、どうだろう。ムロツヨシはちょっと余計だったというか、濱田岳だけでギャグは十分だったと思うのだが、この辺は原作を読んでないので何とも言えない。





















もう1本は、黒沢清『クリーピー 偽りの隣人』。こちらは、観よう観ようと思っている内に都合がつかずに公開が終わってしまった作品。いやー、こちらも傑作。久々に黒沢清がやりたい放題やってる雰囲気が感じられた。去年の『岸辺の旅』でも見せつけた奇抜な演出が、130分間ひたすら続く。ロングショット、ジャンプカット、長回し、照明の使い方、明らかに俳優の裁量に任せている演出、得意のロケーション、あり得ない小道具、どこを切っても黒沢清の映画だ。「日本では自由に映画を撮れない」と何かのインタビューで語っていたと思うが、そんな中でもこんな怪作を作ってしまうのだから、この人は恐ろしい。あと、原作のwikiを読んでみたらかなり話が違っていて、おそらく映画の方は原作を下敷きにしながらも、尼崎事件をモチーフにして脚本が書かれたと思われる。(またしても)サイコパス、洗脳、そしてマインド・コントロール。『シン・ゴジラ』『君の名は。』『怒り』など2016年は邦画が豊作の年だったが、1つ選べと言われたら、個人的には迷わず今作を推す。香川照之の顔芸も、もちろん炸裂してます。


2016年11月2日水曜日

protect me (from what i want)

久しぶりに、池袋のディスクユニオンにレコードを売りに行く。持って行ったモノの殆どが、レゲエやダブ。ルーツ・レゲエやダブに関しては、データ(CD含む)で聞くよりもレコードの方が断然低音の鳴りが違うのだが、最近金欠気味なのでやむなく売る盤を何枚かチョイス。レコードの買取価格10%アップキャンペーン中だったこともあり、何とか1万円ちょっとくらいになる。何年か前ならレコードの買取価格アップは年に1回くらいだったと思うが、最近は数か月おきにやっている。海外での買取が難しくなっているのか、国内盤の買取を強化しているのか。

金を受け取ってそのまま帰れば良かったものの、査定の結果待ちの間に中古CDのコーナーを見てしまい、そこで何枚か探していたCDを見つけてしまう。悩んだ末、2枚だけ買うことにする。我ながら心が弱い。買うことにした2枚は、スチャダラパー『The 9th Sense』と、こだま和文『クワイエット・レゲエ』(92年のオリジナル盤)。自分の悪い趣味なのだが、国内盤のCDは帯がついていないと買う気にならない。帯がないと、何か欠陥品のように思えてしまうのだ。この2枚も当然両方とも帯付きで、『クワイエット・レゲエ』に関しては、そもそもあまりユニオンで見かけない盤だったので、見つけたこと自体がかなり嬉しかった。値段は2枚で約1200円。結局こうやって、また手持ちの金が減っていく。




2016年10月29日土曜日

A Tribe Called Quest、18年ぶりの新作リリースに思う

昨日、Qティップが自身のFacebookとInstagramにて、ATCQの新作のリリースを発表した。ほんの数日前に、アリが日本のメディアの取材に「伝説はシールドしたままの状態の方がいい時もあると思う」と答えたブログ記事がアップされていたけど、あのコメントは一体何だったのだろう笑。自分のインスタグラムでも色んなラッパーやプロデューサーがATCQの新作の知らせをシェアしていたけど、イモータル・テクニークのようなハードコアなラッパーまでもが興奮した様子で画像をシェアしていたのには驚いたし、ATCQがラップ・シーンに与えた影響の大きさを改めて思い知った。

そして何よりも嬉しいのは、この新作に今年急逝した、オリジナルメンバーであるファイフの新しいバースが入っていることだ。再結成後のATCQを追ったドキュメンタリー映画『ビーツ、ライムズ・アンド・ライフ』でのQティップとファイフの仲の険悪さを見た時には、こんな奇跡のようなことが起こるとは思いも寄らなかった。そのきっかけがパリの同時多発テロというのは、何とも皮肉なことだけれども。アルバムの客演には、バスタとコンシークエンスというお馴染みのメンバー。ジャロビも参加しているようだし、これこそ正に正真正銘のATCQのアルバム。新曲をひっさげてのツアーを見れないのは悲しいけれど、それでもアルバムの発売日である11月11日が待ち遠しい。

2016年10月27日木曜日

『ライブ‼はっぴいえんど』

先週の日曜日、なんだかむしゃくしゃした気分で、何を食べても飲んでも気分が晴れない。何だか居ても立っても居られない気持ちになったので、最寄りのCD屋であるタワレコへ。家から自転車で10分もかからない。ボブ・ディランのノーベル賞受賞に沸いていた頃だったので、何かディランのアルバムでも買って帰ろうかと思ったものの、ディランのコーナーにあるCDはあらかた持っているものか、それほど興味をそそられないものかのどちらか。というかこのタワレコ、3~4メートルの什器の片側にしか洋楽のCDがない。CDをそれ程買わない層をターゲットにしているとはいえ、これはさすがに店としての体を成してないのではないか。しかし、何も買わずに帰るというのも何か癪なので、色々探し回った挙句、はっぴいえんどのライブ盤を買って帰る。このライブ盤は、ベルウッド・レコードというレーベルの創立40周年記念にリマスタリング・リリースされたものの一つで、他にも良い作品が多い。細野晴臣の初期の名作、『Hosono House』もこのレーベルからのリリース。未聴の方は、是非確認されたし。

このライブ盤、「はっぴいえんど」と銘打ってはいるものの、はっぴいえんどが7曲、大瀧詠一とココナツ・パンクが2曲、西岡恭蔵が2曲、という変則的な構成。中に入っていた解説を読んでみると、この日ははっぴいえんどの解散ライブだったものの、実際にはかなり色々なバンドが演奏していたようで、その録音は『1973.9.21 SHOW BOAT 素晴しき船出』という盤に収録されている。はっぴいえんどの演奏はもちろん素晴らしいが、大瀧詠一とココナツ・パンクの曲が面白い。はっぴいえんどのアメリカン・ロックなアレンジとは異なる、後のナイアガラなどに代表される大瀧詠一の方向性を示しているような。この辺りの、日本のポピュラー・ミュージックの70~80年代の流れを追いたいと思って3年近く経つ。自分の音楽的興味の持続力の無さに呆れるばかりである。


2016年10月21日金曜日

『エージェント・ウルトラ』、MKウルトラ計画

『アドベンチャーランドへようこそ』のジェシー・アイゼンバーグとクリステン・スチュワートが主演の『エージェント・ウルトラ』。コメディに行きたいのか、アクションに行きたいのか、スパイモノに行きたいのか、恋愛に行きたいのか、色々と寄り道した結果すごく中途半端な映画になってしまった印象。それにしても、ジェシー・アイゼンバーグってもっとキレイな顔だったような記憶があるのだが、どこかグロテスクな顔に見えてしまうのはメイクか何かのせいだろうか…。

本作の主人公・マイクは働いているか、恋人のフィービーといちゃついてるか、ハッパふかしてるか。ただ最後の「ハッパふかしてる」には一応元ネタがあって、それが「MKウルトラ計画」。この計画は、LSDなんかの薬物を使って被験者を洗脳しようとしたという、CIAが実際に行った実験。映画のタイトルの「ウルトラ」は、この実験の名称から取られたものだと思われる。映画の原題は「American Ultra」なんだけど、このタイトルで画像検索してみると、明らかにドラッグ(というかマリファナ)の使用を示唆したポスターが何枚も出てくる。そりゃあ日本ではタイトル変えないといけないわけだ。


2016年10月10日月曜日

『乱暴者』、バイカー・ギャング、『サン・オブ・アナーキー』

昨日マーロン・ブランド主演の『乱暴者』を観ていてなんとなく考えていたのだけれど、バイカー・ギャングの起源はどのくらいまで遡るのだろう。さくっとwikiを見てみたら、『乱暴者』の原作は1947年にカリフォルニア州ホリスターで行われたバイカーの集会を元にしていて、その1年後に「オルタモントの悲劇」などで悪名高いバイカー・ギャング「ヘルズ・エンジェルズ」が結成されたらしい。ただこれをそのまま受け取ると、1947年以前にはもう既にバイカー自体はかなりの数存在していて、それがヘルズ・エンジェルズのような反社会的存在になった経緯はどういうものだったのだろう。英語版のwikiでバイカー・ギャング(向こうだとモーターサイクルギャングと言うらしい)のページを読んだもののそのオリジンに触れた記述は見当たらず、結局のところよく分からないままである。この辺りについて何かまとまった書籍などは出ていないのだろうか。

バイカー・ギャングの実態については、『サン・オブ・アナーキー』というドラマがなかなかに面白い。『パシフィック・リム』で主人公のローリーを演じたチャーリー・ハナムが主演していて、7シーズン続いた人気シリーズだ。銃や麻薬の密売、警察やIRAとの繋がり、敵対するバイカー・ギャングやギャングとの抗争、組織の(意外と民主的な)運営や内部の厳しい掟など見所が多く、また単純に犯罪ドラマとしても面白い。日本だとNetflixで全シーズン配信されていて、確かTSUTAYAなんかでもDVDのレンタルがされているはずなので、興味のある方はぜひ見てほしい。


2016年10月7日金曜日

Netflix『ルーク・ケイジ』なぜルークはなぜフードを被るのか?

休みを利用して、朝から『ルーク・ケイジ』を8話からラストの13話まで鑑賞。『デアデビル』ほど派手なアクションシーンはなく、『ジェシカ・ジョーンズ』のキルグレイヴほど圧倒的なヴィランがいるわけでもない本作。なので、序盤は「これ、ドラマとしてなかなかキツいな…」と思いながら見ていたけれど、終盤にダイアモンドバック(コットンマウスよりヴィランらしい!)が登場した辺りからはストーリーもアクションも格段にテンポよくなり、全エピソード通して見るとなかなかどうして楽しめた。

中でも一番ヤラれたのは、ウータン・クラン(ちなみにドラマ中でルークがウータンの1stを聞いているシーンがある)のメソッド・マンがゲスト出演した12話。このエピソードではメソッド・マンが強盗に遭遇するものの、たまたまその場に居合わせたルークに助けられる。そしてその後出演したラジオでルーク(とハーレムの住民)に向けてラップを披露するのだけど、そのリリックがこのドラマのテーマを分かりやすく表している。以下、その抜粋。

「秩序なき世界で誰を頼れるというんだ?」「みんなで立ち上がろう 警察は間違ってる」「彼は俺たちの最後のヒーローさ」「俺たち黒人のヒーロー」「トレイボンのためにも」

トレイボンとは、2012年に殺されたトレイボン・マーティンのこと。トレイボンは、黒人でフードを被っていたことが発端となって殺されたと言われている。ここでメソッド・マンがラップしているのは、このトレイボン・マーティン事件以後も不当に黒人を虐げる警察や司法への不信感と怒り、それに続く「ブラック・ライヴズ・マター」運動への連帯、そしてそんな世界(例えそれが現実でなくとも)に現れた、社会的不正義と戦うルーク・ケイジという「黒人」ヒーローへの称賛。そう、このドラマの主人公は黒人でなければならなかったし、何があろうともフードを被っている必要があった。警察から不当に疑われ、あろうことか銃を向けられるルークはトレイボンに代表される警察に不当に命を奪われた黒人達を、「防弾仕様」のルークを真似て穴の開いたフードを着て町を闊歩するハーレムの人々はフードを被ってデモ行進をする現実のアメリカの市民を、このエピソードではそれぞれトレースしている。怪力と鋼の体の持ち主という一見バカみたいな設定のヒーローは、アメリカの闇を告発する、黒人社会の代弁者だったのだ。


2016年10月3日月曜日

worst day of the year

朝:自転車の乗り心地がおかしいので色々チェックしてみると、後輪の空気が抜けている。ちょうど先週タイヤとチューブを交換したばかりなのに。時間的に仕事にギリギリだったので、とりあえず急いで空気を入れていつもよりギアを上げて全力でダッシュ。何とか定時に間に合う。仕事中:怪我をしている右足の親指を勢いよく机の角にぶつける。紙で左手を切る。今日処理する予定の商材が来ない、足りない。右足は、後で見てみたら案の定出血していた。靴下が血まみれ。仕事終わり:恐る恐る確認してみるも、やっぱり自転車の後輪の空気が抜けている。スローパンク。職場から最寄りの自転車屋まで30分、雨に降られながら歩く。途中で自転車を倒してしまった拍子にチェーンを落としてしまったことに、自転車屋に着いてようやく気づく。パンク修理と新しいチェーンで3000円弱。時間にして1時間のロス。明日は少しでも良いことがありますように。

2016年9月18日日曜日

『ズーランダー』、『俺たちニュースキャスター』

最近アメリカのコメディをよく観る。中でも『ズーランダー』と『俺たちニュースキャスター』は本当に死ぬかと思うほど笑った。下手にシリアスだったりアートを目指してる映画よりも余程冒険してるというか、現実離れした映像になってる所がなかなか興味深い。『ズーランダー』だとウォーキング対決や『2001年宇宙の旅』のパロディ。『俺たち~』だと愛について話してたらなぜか「Afternoon Delight」を合唱しだしたり、路地裏で各TV局のキャスター陣が乱闘したり。こういうの観ると元気になるな。そしてどっちにも出てるベン・スティラーとウィル・フェレル、素晴らしい。























2016年9月4日日曜日

酒、酒、酒、『悪名』と田宮二郎

最近とにかく酒を飲んでいる。飲んだら差し障りのあるような時でも、気が付いたら飲んでいる。ECDが『失点・イン・ザ・パーク』で「時間があるとつい飲んでしまう」というようなことを書いていたと思うが、確かにその通りだ。なぜ飲んでしまうかというと簡単なことで、詰まる所は金である。幼少期はよく癇癪を起こす子供で、自分でもそれを悪いことだと自覚していたので年をとる度に我慢することを覚えていったが、よく考えてみるとちゃんとしたストレス解消法というものを生まれてこの方持ったことがない。ようやく覚えた解消法が酒では、これはたまったものではない。豪勢にドーンと大きな買い物でも出来ればストレスも溜まらないのだろうが、そもそもストレスの元が金であるのでどうしようもない。このままではますます酒を飲むだけである。

閑話休題。今日は勝新がブレイクするきっかけとなった映画『悪名』を鑑賞。『座頭市』での目を閉じた勝新のイメージが強すぎるので、目を開けている勝新が新鮮で仕方ない。意外と童顔。この映画は勝新もさることながら、子分役の田宮二郎がとにかく良い。一人だけ別のリズムで芝居をしているようだ。庵野秀明がファンだというのも頷ける。『白い巨塔』や他の作品も見てみようと思う。


2016年9月1日木曜日

アキ・カウリスマキ『愛しのタチアナ』『浮き雲』

久しぶりすぎて文章の書き方を忘れそうになる…。今はMSCのO2いうところの「消耗単純肉体労働者」として働きながらも、細々と音楽聞いたり映画を観たり小説を読んだりで毎日をやりすごしてる。音楽はApplle Music、映画はTSUTAYA、小説は図書館中心。プロレタリアート。

今日はアキ・カウリスマキ『愛しのタチアナ』『浮き雲』を鑑賞。『浮き雲』の方が評価が高いみたいだけど、『愛しのタチアナ』の方が面白かった。ロード・ムービーで、ラブストーリーで、大いなるナンセンスの塊のような映画。ヌーベル・バーグに影響されたオフ・ビートな作風の作家といったらジャームッシュだろうけど、カウリスマキの方がギャグと音楽のセンスが合う(『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』はちょっと別格だけど)。